2024年8月9日金曜日

広瀬隆「日本の植民地政策とわが家の歴史」第2部から「一歩前に出る」(24.8.9)

 彼は自分のスタイルをこう要約する。
「政治運動ではなく、科学的な事実に基いて」「敵味方の区別なく」社会に訴える。(185頁)
      ↑
これは私のスタイルと共通する。つまり、
「政治運動ではなく、人権運動に基いて」「敵味方の区別なく」社会に訴える。
言い換えると、
人々を敵と味方に仕訳する「政治運動」を、すべての人の和解=共存」をめざす「人権運動」に転換する。
こんな一致があるとは今まで誰一人からも予想もしていなかった。ビックリ仰天だ。
      ↑
しかも、「
人権運動」とはもともと「科学的な事実」に立脚して主張されるものであって、非科学的な、虚偽の事実の上に立って主張されることはない。この意味で、広瀬隆のスタイルをベースにするもの。つまり、
「科学的な事実」に立脚する「真実の力」と、それを踏まえた「人権」という「正義の力」とが合体したのが人権運動のエッセンス。
      ↑
では、両者のちがいは何か。
それは、彼の
「科学的な事実」に立脚する「真実の力」を「一歩前に進めた」ものが「人権運動」。
      ↑
この「一歩前で出る」ことで、何がちがうのか。何が変わるのか。
      ↓
例えば、その1。
1984年頃、彼が六ヶ所村の農協で「核燃料サイクル」計画問題について講演した際に、出席した若い農家の人からの
「再処理工場の危険性はよく分かった。で、経済的に追い詰められているわたしら農家はこれからどうやって生きてゆけばいいんでしょうか?」
という問いに答えられず(なぜなら、彼の「科学的な事実」に立脚する議論の枠外のことだったから)、うろたえた挙句、ひとつの結論に辿り着く。それが、
「科学的な事実」に基いて真実を知ったあとの「いかに生きるか」という問題は各人が自分で選択すべき問題であって、よそ者の私が教えることではない。金と命をひとつの秤にかけるような愚かな質問をしてはならない!」と(199~200頁)。
      ↑
そうだろうか。「経済的に追い詰められているわたしら農家はこれからどうやって生きてゆけばいいんでしょうか?」という問いは、果たして、「金と命をひとつの秤にかけるような愚かな質問」だろうか。
つまり、ここの農家の人たちは、自分個人の落ち度により「経済的に追い詰められていった」のだろうか。農家の経済的困窮は構造的な原因によるものではないのか。
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だとしたら、それは農家の生存権に対する人権侵害ではないだろうか。だとしたら、この社会権侵害に対して、国際人権法が主張する「漸進的な達成」(※)による生存権の保障が認められて当然である。それが「正義の力」=人権である。

しかし、彼の辞書の中には「科学的な事実」に立脚する「真実の力」しかないため、上記の問題を解くことが出来ず、その前で苦悩し立ち止まる。しかし、彼の辞書に「正義の力」=人権を加えれば、この問題を解くことは可能である。

(※)国際人権法において社会権という「権利」の概念は国内法のそれに比べ、ずっと進化を遂げ、柔軟である。1966年、社会権規約が登場した時、そこに登場した社会権という「権利」は、資源の制約という客観的な条件を踏まえ、また各国の経済力の格差も考慮して、「権利の完全な実現に向けて漸進的に達成するため」利用可能な資源を最大限に用いて立法その他の適切な「措置を取る」ことを法的義務として登場した。この時、権利概念は全く新しいものとして生まれ変わったのである。「漸進的な達成」を正面から承認したということは人権概念の歴史上、コペルニクス的転回とも評すべき、画期的な出来事であった(詳細は>こちら)。

例えば、その2。
原発反対運動を襲った予期せぬ”トロイの木馬”(第26章 201頁~)
彼は、自身の痛切な経験として、
原発反対運動が最も高揚したと思えた瞬間に、足をすくわれるような内部の裏切り”トロイの木馬”に出遭ったことを語る。しかし、この”トロイの木馬”問題は、彼の辞書の「科学的な事実」に立脚する「真実の力」では解くことが出来ず、これに無残なまでに翻弄されて終わってしまう。だが、この”トロイの木馬”問題は、「正義の力」=人権でもって解くこと、つまり人権ならこのような内部の裏切りに抗う、抵抗することがなお可能である。
なぜなら、
”トロイの木馬”の本質は、単に市民内部で敵や裏切りが出現したことにあるのではなく、そもそも政治の論理が「科学的な事実」に立脚する「真実の力」を飲み込んで貫徹されていることに由来する。つまり、青森県民が展開した核燃反対運動は勝利した瞬間から、「核燃反対」のスローガンだけになって、ウィンズケール再処理工場も、ハンフォード再処理工場も、プルトニウムも、癌も、白血病も、一切の具体性を持たない無味乾燥な「標語」になってしまい、他方、県知事選の勝利だけが目的になってしまった。政治家の抽象的な政治用語しか聞かなくなった青森県民は、日を追うごとに放射能被害をどんどん忘れていった。それは横路孝弘が北海道知事になった北海道でも同様だった・・・
それは、彼の辞書にある「真実の力」だけでは政治の論理(己の主張を実現するために「敵と味方を区別し、味方を増やし、敵を追い込むこと」であり、「有無を言わせず、自分の主張を相手に押し付け、従わせること」)に対抗することができなかったことを意味する。
では、これに対抗できるのは何か。それが「正義の力」=人権である。
なぜなら、人権運動により、
政治の世界から命令=服従の権力的作用を抜き取り、人権の観点で営まれる非権力的な作用だけに変容させるという「人権の永久革命」とも呼ぶべき政治的な目的に近づけるから(以下、未完)。


「平和に関する布告」から「一歩前に出る」(24.8.9)

社会主義の立場からすると、 これまで、「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」(共産党宣言)とされ、階級闘争は社会発展の原動力として位置づけられてきた。そして、ロシア革命はその階級闘争のモデルのようにみなされてきた。

しかし、事実はそうだろうか。 

ロシア革命(十月革命)の10月24日から始まった蜂起で権力を掌握したソビエトは、26日の全ロシア・ソビエト大会で「無賠償」「無併合」「民族自決」「秘密条約の破棄」に基づく即時講和を発表し、第一次世界大戦の全交戦国に提案した。これが「平和に関する布告」で、ロシア革命成功後にソビエト政権が行った最初のアクションである。

そして、「平和に関する布告」の中身は「階級闘争」ではない。そのエッセンスは、
(1)、「無賠償」「無併合」という、戦争で誰も勝者、敗者はいない、全員が戦場という舞台から撤退するというもので、どんな階級であろうとも合意が可能な、全ての人たちにとって最前、最良の解決策だった。
(2)、「民族自決」という、自分たちの生き方を自分自身が決定するという「自己決定」を民族に適用したもので、そのエッセンスは普遍的な人権の思想である。
(3)、「秘密条約の破棄」という、民主主義のエッセンスである「情報公開の原則」を外交に適用したものである。

以上の通り、ロシア革命後の最初のアクション「平和に関する布告」のエッセンスは「平和」「人権」「民主主義」であり、そこには「階級闘争」のかの字もない。

そして、この最初のアクションは、単に人気取り(ポピュリズム)ではなかった。ここで彼等は、(全員がそう自覚していた訳ではないが)ロシア革命の真髄であり、今後、この社会運動が進めて行くべき最も核心的な内容を、最初のアクションとして実行してみせたのであり、もしロシア革命が、ここで実践してみせた人権アクションの原理原則を堅持し、その後も粘り強く、一歩ずつでも持続していったならば、その後の世界史は全く違った方向に進んでいったはずだ。

2024年8月8日木曜日

「血の日曜日」事件から「一歩前に出る」(24.8.9)

 人権から世界史を再構成する。それは何を意味するか。

1、ひとつは、人権運動は非政治的行為でありながら、政治の世界に途方もない政治的効果をもたらす可能性を持つものである。この「人権と政治の関係」についての冷徹な認識を持つこと。
なぜなら、人権は原理的に人々を「敵と味方」に分断しない。その結果、すべての人たちを巻き込む可能性がある。ガンジーの非暴力・不服従運動や、キング牧師の公民権運動のように。
この意味で、人々を「敵と味方」に分断しない人権は人々を「敵と味方」に分断する政治の世界にとって「異端」である。過去に、宗教の世界で異端がどれほど反発と迫害を受けてきたかその歴史を知る者にとって、人権が政治の世界の住民たち(政治屋・職業的市民運動家)の神経をどれほど逆なでにし、彼等の内心にどれほど「反発と迫害」を引き起こすものか容易に想像がつく。

この意味で、人権運動に参加する者は、己の人権運動が政治の世界の人間からどう思われているか、その実情に対して、常にリアルに認識しておく必要がある。

2、もうひとつは、人権運動は非政治的行為でありながら、結局のところ、政治の世界から命令=服従の権力的作用を抜き取り、人権の観点で営まれる非権力的な作用だけに変容させるという「人権の永久革命」とも呼ぶべき政治的な目的を持つものである。これが権力作用にしがみつく、世界史が始まって以来の、世の政治家・官僚どもの猛反発を買うのは必至だ。

この意味でも、人権運動に参加する者は、自分たちの非政治的な人権運動がもたらす政治的効果・意味について、政治の世界の人間がどう思っているか、その実情に対して、常にリアルに認識しておく必要がある。

そのリアルな認識が欠けていたために、折角の人権運動が頓挫してしまう。

その痛ましい実例が、1905年のロシア革命のリーダーであるガボン()、ガンジー、キング牧師。彼らが暗殺されたのは決して一握りの過激派のせいではない。政治の世界からの猛反発に由来するものだ。この意味で、マンデラが暗殺されなかったのは奇跡に近い。

)「血の日曜日」事件についての考察>こちら

 人権運動に参加した積りだった僧ガポンは、己の人権運動がロシア皇帝ら政治の世界の住民たちにどのようなインパクトを与えるか、その影響力の大きさを冷静に、客観的に測定できないでいた。
その結果、ロシア皇帝らから「血の日曜日」という発砲=迫害を受け、いっぺんで人民のロシア皇帝に対する信頼は失墜し、政治的大混乱を引き起こし、1905年のロシア革命となった。この人権運動→政治的大混乱→1905年ロシア革命→反動期という歴史のダイナミズムの過程で、ロシアの中に人権運動を根付かせる絶好のチャンスがあったにもかかわらず、ガポン自身も、さらには他の多くの社会改革者たちはその可能性の芽を摘んでしまった。その負の遺産は120年経った今もなお、プーチンの独裁国家として継続している。

 ガポンの可能性について>こちらより

ガポンには致命的に足りない点があったーーそれは、己の「人権運動=非政治的行為がいかなる政治的効果をもたらすか」という認識がなかったこと。人権行為という全ての人を巻き込む可能性を持つ非政治的アクションが、社会的な関心、支持を集めた時、それは、原理的に、人々を「敵と味方」に分断する闘争に明け暮れてきた政治的人間の目からみたら異端の人間たちの異端行為のはずである。だから、政治的人間にしてみたら、これは異端との闘いなのだ。そこで、人権活動を行う者は、この異端行為がどれくらい政治的人間に苛立ちを与えてしまうのか、どのような影響とリアクションをもたらすものか、それを冷静に測定してみる必要があったが、ガポンはそれをしなかった。そして、亡命した彼が、亡命先で、もしこの認識に気付き、その中で、上記の意味での「人権活動の再発見」をしたならば、彼のその後の人生と社会的影響は大きく違っただろう。しかし、まもなく彼は暗殺され、その機会は永遠に失われた。彼の挫折の責任は大きい。

広瀬隆「日本の植民地政策とわが家の歴史」第1部から「一歩前に出る」(24.8.8)

 第1部の「日本の植民地政策」の解説は凄まじい。もし広瀬隆があと20年早く生を受け、彼の「わが家の戦前の歴史」を目の当たりにしたなら、彼はそれに耐えられただろうかと思う。私だったら発狂せずにおれない。それくらい凄まじい、おぞましい人権蹂躙の悪徳の累積の歴史をこれでもか、これでもかと情け容赦なく暴き出している。

この意味で、第1部は権力者の植民地支配の悪行・蛮行を知る限り描き出している。

その暴露の凄さ、執念に脱帽した上で、さらに感想を。
それは、この秀作にどうしても物足りない点がある。それは、そこに描かれた「凄まじい、おぞましい人権蹂躙の悪徳の累積の歴史」にどう抵抗したらよいか、手も足も出ないからだ。その理由はおそらく、「凄まじい、おぞましい人権蹂躙の悪徳の累積の歴史」がいわば単線(リニア)の一直線の悪行の連続として描かれているからだ。
だが、実際の悪行は、そのようなリニアの一直線で進行した訳ではなく、ひとつのアクションが他方の(場合によっては複数の)リアクションを呼び起こし、そのリアクションがさらに、当初のアクション行為者に、より突っ込んだリアクションを引き起こして、その相互の連鎖反応の中から事態がどんどんこじれ、紛争が拡大し、紛糾して行き、どうしようもないどつぼの中に入り込んで行く。こうした紛争関係者間の衝突の相互の連鎖の中から出来事が膨らんで行くというダイナミズムが、「凄まじい、おぞましい人権蹂躙の悪徳の累積の歴史」のリアルな姿のはずだ。しかし、このダイナミズムがこの本には描かれていない。

例えば、日清戦争前夜の韓国の動向を決定した国内の要因は、支配者間の2つの権力争い (大院君と閔妃)ばかりか、被支配者側の東学の宗教団体の行動が大きな影響を及ぼした。東学の対応が16世紀の欧州の宗教改革の二大対立(ルターとミュンツアー)と同様に2つに分裂し、ミュンツアーの農民戦争と同じように起こったのが、1894年の全琫準指揮下での甲午農民戦争(東学の乱)。この民衆の一大反乱が韓国の支配者らを震撼させ、なおかつ国外の清と日本を介入し鎮圧の行動に取らせるに至った原因となった。
そして、この時、ミュンツアーの農民戦争の弾圧によりドイツの民主化が遅れてしまったのと同様、民衆側が最も高揚した東学の運動が徹底して弾圧された結果、韓国の民主化は1987年まで、約100年間、先送りされることになった。

こうした民衆側のアクションとこれに対する国内外の権力者たちのリアクションのダイナミズムが、この本には描かれていない。
      ↑

なぜ、このダイナミズムにこだわるか、というと、それは前述した通り、
過去の歴史が、「凄まじい、おぞましい人権蹂躙の悪徳の累積の歴史」が単線(リニア)の一直線の悪行の連鎖として描かれていると、それに対し、「もうどうしようもない」という一種の宿命論に陥ってしまうからだ。つまり、
歴史において「一歩前に出ること」が途方もなく困難、不可能ではないかと思わされてしまうからだ。
      ↓
私に必要なことは、どのような困難な歴史であろうとも、その中で、こういう挑戦が可能だったのではないか、こうする挑戦をしていたなら、こう行動する余地があったのではないか、そのような別な行動の余地を通じてこうしたら過去は変えられたのではないかという「歴史の可能性を探求」すること。なぜなら、それは単なる過去の出来事ではなく、未来の出来事なのだ。
上の例でいえば、植民地主義に抵抗する「もうひとつの東学の運動」のビジョンを構想する必要がある。だが、この本を読んでいると、日本の植民地主義の「凄まじい、おぞましい人権蹂躙の悪徳の累積の歴史」が単線(リニア)の一直線の悪行の連鎖に対し、手も足も出ないという気持ちに追い込まれてしまう。チャレンジ精神が萎えてしまう。
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とはいえ、この本が描いている日本の権力者の悪行の事実は事実として正面から受け止める必要がある。その上で、この悪行にどう「抵抗」することが持続可能な運動として可能なのかについて、抵抗の可能性について考察する必要がある。そのための考察の可能性を広げるためには、【認識の次元として】権力者と非支配者との衝突の相互の連鎖の中から出来事が膨らんで行くというダイナミズムの中でこれを考えていくことがどうしても必須なのだ。
      ↓
そして、世の中には、そのようなダイナミズムの中で歴史を捉えようとした者がいる。それが私を「可能性としての歴史」への探求に背中を押す。
そのひとりがマルクス。それを紹介したのが
渡辺雅男「マルクスにおける階級の概念」  

そのような認識をすれば、戦前の極悪非道の植民地主義の時代にあっても、【実践の次元として】持続可能な抵抗運動のビジョンとして、政治・政策の論理ではなく、人権の論理によって、一歩ずつ前に出る抵抗運動を組織していくという構想を持つべきだし、そのような構想がなお可能だと思う。
そのひとりがガンジー。彼の非暴力・不服従運動の挑戦は人権運動のことだ。

柄谷行人『世界史の構造』から「一歩前に出る」(2)

様々な対立・矛盾が歴史の歯車を動かす原動力である。

これまでの権力者の歴史とは、この対立・矛盾を彼らなりに解決してきた歴史であり、その解決に失敗した時、彼らとて歴史の舞台から退場を余儀なくされた。

そこでは、次の2つのことが問題となる。

1、この対立・矛盾の原因とは何か。

2つに大別できる。
(1)、「階級同士の対立」(今日であれば、資本家階級と労働者階級の対立)

しかし、これにとどまらない。
(2)、これ以外にも「性、宗教、民族、人種などありとあやゆる差別の原因」
          ↑
これを区別する意義。
それは、
ひとつには、(1)がその時代のメインの対立・矛盾だとしたら、(2)は過去のメインの対立・矛盾だったり、派生的、付随的な対立・矛盾。


2、この対立・矛盾を我々市民はどのようにして解決するか。

通常、社会問題は今日では民主主義(デモクラシー)によって解決するとされている。
      ↑
しかし、デモクラシーとはその名の通り「多数者(デモ)による支配(クラシー)」のことであり、第1に、一般市民が民主主義体制の中で「多数者支配」を獲得するのは容易ならざること。
第2に、もともとデモクラシーとは「多数者による指示命令」という政治の論理による解決であり、政治の論理に従う限り、人々の「分断・分裂」という問題は永遠に解決されない。
      ↑
そこで、我々はデモクラシーではない、それとは別な解決方法を見つけ出す必要がある。
果して、そんなオルタナティブな解決方法なんてあるのか?
      ↓
ある。それがブックレットが着目した「人権」による解決。
上に述べた通り、歴史の歯車を動かす原動力となる諸々の対立・矛盾は(1)と(2)の2つある。このうち(2)の対立・矛盾(平等原則)は基本的にその時代では理念的には克服されているのに対し、(1)の対立・矛盾はその時代でもなお理念的には克服されていない。つまり、
(2)は人権(運動)によって解決・克服が可能な対立・矛盾。
→チェルノブイリ法日本版の大部分はこれによって実現可能。
それは、「多数者による指示命令」という政治の論理を否定し、すべての市民の人権を可能な限り保障するという「共存」の観点から、折り合い・調整の解決案を提案し、討議の上で合意による解決を目差すもの。それは、社会関係を、指示命令の上下関係から、「共存」の合意点を一緒に探るというフラットな関係に転換することをめざすもの。それは一方的に指示命令による解決により人々を分断・分裂するのではなく、関係者全員の参加による討議を通じて、全員の「共存」をめざして、着地点を探るという創造的な解決方法により、人々の分断・分裂を最小限に食い止めようとするもの。

これに対し、(1)は人権(運動)でも解決・克服が不可能な対立・矛盾。「資本家階級と労働者階級の対立」を終わらせるためには賃労働(雇用契約)を廃棄するしかないが、労働基本権等の人権によって賃労働(雇用契約)を一定程度修正することは可能だが、それ以上廃棄することは不可能。
→つまり「資本家階級と労働者階級の対立」は理念(人権)による解決ではなく、実践的・主体的に解決するしかない。それが「協同労働=協同経営」の協同組合運動。
→チェルノブイリ法日本版の最も核心部分(雇用問題の再建)は国家に依存するのではなく、「協同労働=協同経営」という実践によって初めて実現可能。

2024年8月7日水曜日

柄谷行人『世界史の構造』から「一歩前に出る」(1)

 以下は、或るジャーナリストに宛てたメール。

1、その1

「柄谷さんが2000年以来考えて来た交換様式Dの探求をソバで見ていて、何か核心部分が足りない、抜けているという印象がずっとあって、彼もまた、その核心部分の周りをずっとグルグル回っているという印象でした。その穴のような核心部分を「人権」によって掴めることができるのではないか、そう思ったとき、柄谷さんの『世界史の構造』の中に、人権の観点がほぼ皆無なのに気が付き、やっぱり、人権は柄谷さんにとって盲点なのではないかと思いました。
そこから、いわば柄谷さんを鏡にして、人権と交換様式Dの関係を考えてきた、という感じです。
   そうでなかったら、人権のビジョンがここまで膨らむこともなかったと思います。
   その意味で、このブックレットは、別名「人権その可能性の中心」です。その可能性の中心を示唆してくれたのが柄谷さんの「マルクスその可能性の中心」の探求の末に辿り着いた交換様式Dです。」

2、その2

 「実は、あと1つ、キーワードがあります。
階級闘争 です。
「人権」と階級闘争はどういう関係に立つのか?
この問題を考え詰めないと、社会構造の中で客観的に存在する階級闘争を無視して、人権運動だけを唱えても観念論になります。ただし、階級闘争それ自体をどう捉えることが客観的なのかをめぐって、見解が分かれると思うので、人権との関係を考えるのもなかなか難しい。
で、柄谷さんの『世界史の構造』には、人権ばかりか、階級闘争も出てこない、これが私の印象です。
つまり、この2つが柄谷さんの中でまだ未解決の中心問題だと思うのです。
ちなみに、今、レーニンの「国家と革命」を読んでいますが、人権というキーワードでこの本を読み直したらどういう結果が引き出されるか、という問題意識から読み始めたのですが、そしたら、この本は階級闘争満載で、それで、自分が上の問題(「人権」と階級闘争はどういう関係に立つのか?)を考えていなかったことに初めて気が付いた次第です。 」

広瀬隆「日本の植民地政策とわが家の歴史」第2部から「一歩前に出る」(24.8.9)

 彼は自分のスタイルをこう要約する。 「政治運動ではなく、科学的な事実に基いて」「敵味方の区別なく」社会に訴える。(185頁)       ↑ これは私のスタイルと共通する。つまり、 「政治運動ではなく、人権運動に基いて」「敵味方の区別なく」社会に訴える。 言い換えると、 人々を...